ダイビングスクールなみよいくじら(www.namiyoi.com)のせきちゅうが、ダイビングのことについてうんちく好き勝手語っちゃいます。不定期ですのであしからずご了承ください。


by namiyoi3
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カテゴリ:テクニカルダイビング創成期( 3 )

「おう!いこうや!」

「でもなぁ、そういうの、赤の他人の俺たちが現地に行って(潜るの)いけるんかなぁ。そんなん発見者としては、自分のモノにしたいやろしなぁ。ケーブってそんなもんなのかなぁ」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「もしもし、あ、ぼく、友達の甘井だけど。穴見つけたんだって?」

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俺たちは、ケーブ、いわゆる洞窟探検をしていくにあたって、あることを危惧していた。

つまり、ケーブの発見者や開拓者は、そのケーブを愛してしまう、ということだ。

今まで何度か大変な目にあっていた。ケーブを愛してやまなくなると、受け入れてもらえないのだ。

男はひとつの穴に惚れてしまうとその穴にはほかの男を入れたがらないものなのか?

などと微妙なニュアンスにもとられかねないかもしれないなぁなどといいながら
はっきりと、あのことも連想していたのは言うまでも無いが。


アメリカでケーブダイビングを学び、その喜びとか楽しさとかスリルとか怖さとか
そんなのをひっくるめて日本でもゲレンデがほしかった。

ケーブのゲレンデを。

リクリエーショナルダイビング一本やりの当時には、本格的なケーブのポイントは我々がメインに考えるほどのものはなかった。


だからあちこち探した。
紀伊大島・常神半島・・・

どれも、ケーブのゲレンデとはいえるかどうかもわからなかったので調査は精力的に行った。

調査したら非常に楽しかったが、本格的な装備をするにも、練習にはいけるが
ケーブの規模がそれほど大きくなかった。


陸で言うと、岩手「龍泉洞」「安家洞」そして山口の「秋芳洞」・・・・

あちこち探すが、なかなか適切なケーブは見つからなかった。

しかし我々は安家洞の情報は得ていた。

我々がフロリダでケーブを教えてくれたR/Hは安家洞に潜っていたのだ。

安家洞は、日本最長の洞窟で、ドライケーブ(水の無い潜らずに進める洞窟」をすすんで、そうとう奥に行くと、水溜りになっている。いわゆる地底湖とも言われるのだが、洞窟の奥に水溜りがあって、そのこを潜って進んでいくと、またドライケーブにでるような、そういう洞窟の奥の池というか湖というか水溜りののこと「サンプ」ともいう。

サンプは、数mの規模のものや数百mのものまで規模は様々であったが、

そのサンプの突破の記録としては、ケイブダイバー某氏の秋芳洞の320mを突破されたものが、日本最長だった。サンプ突破としてはこの距離はいまだ日本最長記録であろう。そして水中洞窟ということでは、これ以外にはそんな長い距離はなかったのでこれもやはり日本最長だったであろう。

R/Hは、サンプの距離は短かったものの洞窟としては日本最長の安家洞のサンプを奥のいくつかのサンプを突破し、安家洞の距離をさらに飛躍的に伸ばした。

いつか安家洞に行こう。

そういう話にはなっていた。安家洞にはR/Hの実績もあってダイバー上がりのケーブダイバーの受け入れには非常に好意的だった。しかしそのサンプは、洞口から何キロも奥にあるサンプだった。エントリーするまで、どんだけ苦労しなあかんか。

車からちょこちょことっと歩いていってスプリングにどぼんとエントリーして
ケーブにすっと入っていく、そんなフロリダのケーブをイメージすると安家洞のサンプは
気が遠くなるほどたいへん奥だ。

フロリダに比べると、ダイバー上がりのケーブダイバーが簡単にちょこちょこっと行く、なんてとんでもない環境だった。

だけれども、それでもかまわなかったくらい我々はケーブにのめりこんでいた。


コンタクトはないけれど「秋芳洞」にも行きたい。
当然の流れだった。

ケーブダイブの魅力にとりつかれた我々は秋芳洞の関係者にもコンタクトをとった。

このころから、少し気にしていた問題があった。


ケーブダイバーには2種類いる。

ダイバー上がりのケーブダイバーと

ケイビングあがりのケイブダイバーだ。

その性質の違いによって、若干衝突してしまう可能性があることだ。

R/Hをドライケーブのスペシャリストの元に紹介したテクニカルダイビイビングの仕掛け人N氏はそのあたりのことを当初かなり苦労したと言っていた。
受け入れてくれない。そのことだ。

ダイバー上がりのケーブダイバーと

ケイビングあがりのケイブダイバー。


我々は当然前者。ダイビングのことは相当精通していて経験も多いのでダイビングスキルは非常に高いと自負もできるがケイビングは素人だ。

一方、ケイビングをされていて、難関といわれる竪穴などもザイルなどを使ってのぼり奥に行き
洞窟の奥を探検する方が、サンプを突破するためだけにダイビング習って、ケイブダイビングをするという方。ダイビングのことは、我々に比べると、経験は少ない方が多いだろうがケイビングはもちろん長けている。俺たちができるわけも無いようなドライケーブのすごい技術を持っている。

秋芳洞関係者にコンタクトをとった。
すると様々な資料も提供していただけて非常に好意的だったが、
交渉するも気を追いすぎたワタシの責任で、その話は座礁してしまった。

交渉失敗で傷ついたワタシは、新しいケーブに潜るということに対して

相当神経質になっていた。

そんなときに海のケーブの発見のニュースだった。


すごい!エントリーも船で行ってどぼんと入る海の中だから、ドライケーブを越えた先などということではない。

しかも、陸地にある洞窟と違って土地の所有者がいないので、発見者の案内さえあればいけるわけだ。


「コンタクトだ!」

神経をする減らしながら、交渉できる人を探したら、身近にいた。


甘井会長。

「いや、そのケーブの発見された方は、うちらと同じ団体の人や。甘井会長も知ってる人で、甘井会長がITC(インストラクタートレーニング&インストラクター認定)したから教え子みたいなもんや!」

「うひゃー、天は我らの味方やなぁ!でもITCを開催したん最近なん?」


「いや、相当前や。もう20年近く前やから向こうさんも覚えてないかもなぁ」


いかに現地とコンタクトを取れるか、それが我々の最大の懸案事項だった。

失敗したら、またゲレンデ探しだ。ニューケーブを発見しようなんて、宝くじに当たるかどうかくらいまれなことだ。

世紀の分かれ目かもしれない。

そんな緊張の中、甘井会長(55才?)は電話した。


「もしもし、あ、覚えてる?ぼく、友達の甘井だけど。穴見つけたんだって?」


T〇〇創設メンバー全員が緊張の中、なんでそんなセリフがしかもいやみなくすっと出てくるのか。

その開口一番のそのセリフは、我々にとって伝説になっている。

そして現地さんも、非常に懐の大きい心穏やかな方で、私たちの心配をよそに
快く受け入れてくれました。

そして僕はイントラの師匠、海嶋氏とともに第一次調査隊としてK島に向かった。





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あ、そういえばこのK島アタックの前に、Y島のケーブに海嶋氏と行って調査しました。
Y島のケーブも本格的なケーブで様々なドラマがあったのです。
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by namiyoi3 | 2009-02-02 00:53 | テクニカルダイビング創成期 | Trackback | Comments(0)
(事実にもとづいて書いてるところもありますが、若干記憶も薄れ?脚色もしてるかもなので(笑)ノンフェクションストーリーしてお読みください(笑))


奥に奥に続くケーブ。
長大容量のタンク、ナイトロックスとゆーものを使いこなす・・・・
ミリ単位で上下させる究極の中性浮力。特殊なフィンキック。。。



ぼくらはのめりこんだ。

こんなおもろいものはない!
こんなおもろいものが日本にないのは日本はすっごく遅れてる!
追いつき追い越せだ!とばかり
フロリダのR/Hの元へ通った。

国内できちんとした指導手順を普及させるためにはきちんとした指導団体が必要だということでその準備組織をつくり、その準備組織としてやっていくことになった。
そして同時にその組織から「激」というタイトルで当時ワープロで打った手紙を、いろんなショップさんにお送りし、おもろそーやなと乗ってくれたショップオーナーやインストラクターさんたちとも一緒にいった。

同じ釜の飯を食うという言葉があるが
その当時知り合ったオーナーさんたちとはいまでもホントいいお付き合いをさせていただいています。



当時のT団体米国本部のトップは B/G

ケイブダイビングの第一人者R/Hの口利きでT団体とコンタクトを取り合い、
いよいよ互いに調査をして、いよいよ日本支部として契約する運びになった。

最終契約まで様々な議論が行われ、最終的には会って決めることとなりB/Gとあうことになった。

はじめて会ったのは、世界最大のダイビングトレードショーであるDEMAショーのときだった。

世界最大のトレードショーで、世界中の支部のTOPがやってきて全体ミーティングを行っていたが、日本だけは、別途時間をとってのミーティングが行われた。

B/Gは貫禄ある風格ある大男だった。

長テーブルのいわゆるお誕生日席のあちら側にはどしーっと座っているB/Gのとなりに、スケさんカクさんのごとく横に座りあれこれ情報を耳打ちするJ/OとB/Kもいた。

J/Oは、その後に、我々へテクニカルとは何ぞやと実践で教えてくれた人だった。


こちら側のお誕生日席には日本からの某指導団体のTOPである甘井会長(仮名)がすわり、長年メーカー営業をやっていた業界通である事務局長の高原氏と英語堪能の通訳高原氏奥様 そして若手としてせきちゅうが座った。

最終確認をしあう中で互いのカクさんスケさん役が懸命に進行や助言をし、互いのTOPはうむ、などとうなずくだけで、最終的に互いに納得したところで

日本・アジア(の一部だったとおもう)を拠点とした活動権限について
T団体米国本部はT〇〇ーJAPANと契約する。


なんだか格式ばった?調印式だった。

ここにいよいよT団体日本支部として産声を上げるスタートを切った。


日本には以前からAN団体が日本にあり、その後IA団体が入ってきて、
そしてこのT団体との契約締結。

日本に三つ巴のテクニカルでのシェア争い?の幕開けだった。

一番初めに日本で展開したのはAN団体はメーカー系だった。
決して悪いものではなかったがシェアがウマく取れなったのか、早すぎてまだ受け入れ姿勢が整ってなかったからだと思うが、徐々に力を失っていった。

決して悪いものでもなかったが市場の成熟度に対して早すぎる仕掛けは受け入れてもらえなかったのかもしれない。

T団体は、元々国内の指導団体をやっていた本部があったので、ネットワークが強かった。

そして先述の「激」テクニカルダイビングの幕開けというワープロ文章で、フロリダに誘い
自身もトレーニングを継続すると共に同時に仲間を広げていった。


テクニカルダイビングの指導団体としては産声を上げたが同時に我々にはたくさんの課題があった。

契約はしたが器材の供給面、いわゆるハード面の未整備と、技術面・インストラクター養成をどうしていくか課題としてあった。

市場は産声を上げるまでもないまだまだまったくの未開拓地であった。

またテクニカルダイビングを行うためのポイントも未開拓であった。

器材輸入ならびに販売を国内でしていくことに関しては
テクニカル器材を専門に扱う会社を作ろうということになった。

高原を主軸に 1000万を集めた。

フロリダに通うとともに日本でもあちこちにポイントを探し始めた。


そのころ、偶然にも、

ホントに偶然にも、久米島で海底鍾乳洞が発見されたとニュースがあった。
その洞窟にはまだ奥があり、まだ未調査だと知った。
我々はそのニュースを知り、色めきだった!

高原から電話がなった。「おい!ニュースみたか!!!!!!!!!?????」

「おう!、みたよ!行こう!!!!まずは現地にコンタクトや!!」

ポイント開拓のみならずいよいよテクニカルダイビングの究極である探検。前人未到部分への突入という大チャンス。胸は高まった。


しかそまさかその時に
高原の体を蝕む魔の手がしのびよってきていたとは想像もしなかった。

つづく
by namiyoi3 | 2008-10-09 23:08 | テクニカルダイビング創成期 | Trackback | Comments(0)
うんちくっちゅうのはそもそも主観の塊であるという前置きをさせていただきますが、

海はええでぇ ええよなぁと どちらかというとのんびりとか癒しとかほわわわーんとか

時にはスリリングな冒険チックなダイビングもしたーいという、人間本来が持っている欲求は
ダイビングで十分達成でき、満足できると思うのはなんら疑いはありませんが、


ごくまれに・・・・

人と違うことをする

とか

人が行ってないことにいく

とか

あかんといわれたら余計いきたくなるやん

などという、若干反骨精神もありーの?

ただ単に、冒険心がありーの

フカイとこが好きだの

まっくらなとこがスキだの


器材を自分流にアレンジしまくるのがスキだの


タンク一本、レギ1セット
水深は40mまで

という「制限」ないだけでは満足できない人が

半分間違って(笑)

でもいたって本気に 40mを超えたいとか

閉鎖環境に行きたいとか

人類未踏の場所に、行ってこそ、満足感がありまくる

などの、そういう 基本的な?欲求を満足させるのに

「テクニカルダイビング」は
それしかないわな とおもわせるほどの魅力あふれる分野でもあり、そういうのにハマル人はいます。

僕自身もそのうちのヒトリだと思いますが。





そもそも。。。


通常の-40mまでのリクリエーションダイビングの世界ではなく


おもたーいタンクを2本ないし3本、時には4本担ぎ

時間や深度、ガス消費量・減圧時間など 計算しつくして、スキルを高めまくって

ようやくたどり着き領域であるわけなテクニカルダイビングなわけですが。



ほんの10年前は テクニカルダイビングといっても

だーれも知らんがなそんなもん!と一蹴されるようなものであったのではないかと思います。


「タンクを何本も担いで行う上級者向けのダイビングがあるから、それを勉強しにいかへんか?」

と声がかかったのが運のつき?


まさか ここまではまるとは予想もしていなかったのです。

もっというと 「テクニカルダイビング」というと

あー(前述のような)ダイビングやねんなと、もぐりこんでる人ならある程度わかるほどの

認知度になるなんてそのときは夢のまた夢という状況でした。

はじめて 「テクニカル」に触れたのは

アポロの営業マンからでした。

「ナイトロックス」とうのがあってね・・・・

それを普及させるためにも、「AN」という指導団体があってね、

などと聞いた記憶がある。


「なんじゃそれ」と 当時は思っていました。

どちらかというと否定的に。。。。


そうこうしてるまに、


Nさんという方が 大阪でやり始めた。

マリンダイビングという雑誌に、広告を載せておられたように思う。


それでもなおのこと、「なんじゃそれ」と 当時は思っていました。


それから 1年か2年してからだったと思うが、「勉強いかへんか?」

と声がかかり

そのおっさんの熱心さに心うたれ(奪われ?)どうしてもいきたくなったわけです。


そのおっさんは「Y」といい 某国産器材メーカーに長年勤めた人だった。


うごいたのは某指導団体のTOP「S」

ぼくらはいっしょに動いた。


当時、「N」という男とも一緒にやっていて、日本にテックの基礎を持ってくるときに動いたキーマンのヒトリであったが、本業のショップがウマく機能せず?他業種へいった。


ケーブを習った。 はまった。

難しすぎた。 だから燃えた。

このスキルを身につけたいと思った。


フロリダに通った。


スキルは少しづつ身に付き、そのことを普及させたいと思った。


当時我々は、コースを開催するための指導団体としてのプログラムを持ち合わせてなかった。


アメリカで テック関連では3つの団体がしのぎを削っていた。

AN団体とIA団体とそしてT団体だ。

我々一派はI団体と契約をすべく動いていた。

しかし、寸前の差で、日本の別の方が契約をむずんだ。


NとYは、それでは、ということで日の出の勢いで延びていくTDIという存在を知った。


そのTDIとの接点作り人貢献してくれたのは、フロリダ通いでお世話になったケーブダイビングの第一人者 D社の社長R・Hだった。


1999年だったかな そのころでした。

R/Hとの話はまさか、そのあとで大どんでん返しになるとは当時は思いもしなかった。

まる・・・・・

つづく・・・
by namiyoi3 | 2008-09-16 05:15 | テクニカルダイビング創成期 | Trackback | Comments(1)